ちょっと難しい話(BELの考え方)

stable diffusionはスゲェ…って話(嘘)

突然このような題目で申し訳ない。

まずことわっておくと、ここでは読者の読みやすさを重視した言葉づかいや漢字の選び方についてはあまり考えず、物流について思うところを書いていくことにする(ここまではいつもの感じ)。

そもそも私は、ブログからの発信を通じ、最終的には物流業界の悪しき慣習を少しでもまともな状態にアジャストされることに貢献したいと思っている。

但しこの「悪しき習慣」は、誰が悪いとかウラで糸を引いているだとか、そんなドラマのような話ではない。
その時代々々に起こった出来事を、その時代のプレイヤー(政治家や役所、企業そのもの、ここでの主役ドライバーも含め)がその場に合った形で対応・順応していった積み重ねが、積もり積もって今の形になっただけのことなのだ。

確かに今のドライバー不足は、何年も前に予見できていたことではある。
だが先ずは目先の利益を確保して日々を生きていかねばならない個人、企業、ひいては日本という国がその場の対応に終始してきたことに対して、今更あれこれケチをつけたところで一体なんの得になろう。

自分は「今」を変えたい。

今できることは何か
この部分について私BELが一体何を考え、どうしていきたいのかをブログの玄関にあたる固定ページのひとつとして、書き記しておく。


いま物流業界はどのような状況なのか?


今、物流業界において我々は、とてつもない矛盾に晒されている。どういうことか?

・人手が足りない足りないと言い出してもう久しい

・にもかかわらず、物流業の給料は下がることはあっても上がることはほとんどなかった

…ここ20年くらいの話だ。まったくその通りだと頷かれる方も多かろう。

人手が足りないなら雇えばいいじゃないか…がそうはならず、人は足りず、それでも給料は低いままの物流業…中でも中心となるドライバーの、今に至る経緯を簡単に説明しよう。

失われた20年


ここ20年と言って思い浮かぶのは「失われた20年」などと呼ばれる、バブル崩壊からこちらの不景気だが、ここでは概ねその20年と同義と捉えてもらってよい。
即ち、給料が上がらない理由は当然、世の中の景気が悪いのだから物流業だって同じ現象が起こるだろうということだ。理解はできる(納得がいくかどうかは別の話)。

物流の世界では、車両が瞬間的に足りなくなる時期(決算期や夏場の飲料需要が高まる繁忙期などが有名)に法外な運賃での輸送が発生することがある。どうしても運ばなくてはならないとなれば当然「金に糸目はつけない」案件が出てくるというわけだ。

しかしながらほんの一時期だけに発生する大きな需要(≒車の不足)に対し、メーカーなどの荷主が平時から潤沢な運賃を保障することはなかった。
むしろ閑散期に仕事を切らさないことをエサに、これまでの水準通りで運送会社を囲いこんでいったのだ。

運送会社としては、経営が成り立たなくなる最悪の事態だけは避けたいとの思いから、その条件を渋々受け容れ、その弱い立場を利用する形でさらに値下げを半ば強要される…そのくり返しがこの20年の経緯と言っても過言ではない。

実際には既に失われた30年に至る

需要と供給のバランス


一方で、そうこうしている間に日本の就業人口はどんどん減っていき(当たり前だ、出生率が下がって若者(≒新たな就業者)の上乗せが減少の一途なのだから)、人気のない職業のなり手はなおのことシュリンクしていった。

経済の原則としてよく耳にする「需要と供給」の関係を鑑みれば、需要があるものに対して供給が滞ると、需要の対象となるものの価値は向上するはずだ。ここでの需要とは「運び手」であるドライバーを指すのだから、ドライバーのなり手が減っていけば当然、その人手を補うために給料を含めた待遇が向上しなければ、不足はどんどん深刻になっていくだろう。

ところが先述のような経緯から、メーカーにとってはコストセンター(あってもお金を生み出すことはない、コストばかりが掛かる部門を指してこう呼ぶ)でしかない運送部門の待遇は右肩下がりでしかなかった

基本的に「物流」の主役は、一番最後に待ち構える「消費者」である。
なので消費者からの需要を獲得するため、物流の流れに沿って進んでいく「モノ」をつくるメーカーは、様々な企業努力を重ねて「安くてより良いもの」を提供するべく生産をおこなう。
その企業努力の一部分としての物流費用の圧縮とは安易な考えではあるが、当然の流れだったのだ。

なんだかんだ言っても、運んでくれている間は現状の条件にメスを入れてこなかったのはむしろ、自明の理と言えた。

転換期はECそしてコロナ


ところが先ほど述べた「弱い立場を利用する形でさらに値下げを半ば強要」の悪循環が途切れるのではと思しき潮目が、ECの急速な普及によってやってきた

ECとはEコマース(電子商取引)のこと。
要はネット通販など、インターネットを介して商品を売り買いすることだと思えば良い。

国交省のデータによると、平成元年(1989年)には約1億個だった宅配便の取扱個数が、令和3年(2021年)には約50億個と、なんとこのおよそ30年間で50倍にまで拡大している。

さらにその普及に拍車をかけたのがいわゆるコロナウィルスだ。
宅配便利用者の裾野が一気に拡がり、やれ遅配だ、やれアマゾ●の労働争議だのといったニュースが世間を賑わせたことも記憶に新しい。

そうした諸々の偶然が一致したことも重なり、これまで瞬間風速的にしか発生してこなかった供給不足がここにきて慢性的に発生してきたのだ。

世間の人々がようやくこの「運べない危機」を現実のものとして受け止めるようになり、そこにおもねるステークホルダー(例えば政治家や関係機関の有力者)が声高に事の深刻さを発信するようになって、今の「物流危機(物流クライシス)」に至る…というわけだ。

今やるべきことは?


稚拙な説明ではあるが、おおよその流れは掴んでいただいたと思う。
むしろここまでの説明を読んでくださった奇特な方(笑)であれば、既知の事実であったかもしれない。

だが問題はここからだ。

この経緯を受けて、今いったい何をやれば良いのだろう…どうすればせっかくやってきた「物流の地位をあるべき姿にするチャンス」をものにできるか…ここが本当に問題なのだ。

民意が反映されているか

結果にコミット(笑)できるか…これに尽きる


関係者はこの地位向上のために(おそらくではあるが…)東奔西走、文字通り駆け回っている。

トラック協会は政治家やお役所に様々な申し入れを行い、それを受けた省庁は諮問委員会に専門家を招いてああでもないこうでもないと議論にご執心だ。

そうした活動はもちろん不可欠である。
だがこれだけでは大きな変革にならない
ことは目に見えている。
なぜか?

答えはカンタンだ。
これらの活動は全くもって「民意の納得感が得られていない」のだ。

物流の地位向上に立ちはだかるのは何も国会議員たちだけではない。
彼らは「国を良くするため」の法律を決めたり修正するポジションでしかない。つまり根幹には多くの「もっと●●してほしい」という国民の声があり、そこから法改正など実際の施策に移行していくというプロセスがある。

そうした意味で、今回の物流地位の向上を見た場合、我々が狙わないといけないのはむしろ「地位向上によって物価上昇に転嫁されてしまう国民」なのだ。
いま関係者が行っている活動はあくまで「これまでの経緯で被害を受けている物流業界」の訴えでしかない。

ほとんどの国民が「値上げにさらされてしまう」側であり(なんなら物流従事者だって同じ)、そうなると結果が分かっている事象(物流地位の向上≒自分達の生活が苦しくなる恐れ)に対してどれだけ理解を得られるか…実はポイントはここであり、その点で言えばまだ我々はようやく、スタート地点に立った程度でしかないのだ。

現代の民意はどこにあるか


ではどうすれば「民意」に訴えることができるだろうか?

ここでキーワードになるのはやはり「インターネット」の世界(もはやこの呼び名が古めかしいが)だ。

近ごろ巷を賑わせている「炎上騒動」。やれ回転寿司屋で醤油挿しをペロペロしただの、芸能人が色恋沙汰でおイタをしただの、炎上騒ぎには枚挙に暇のない今日この頃。

実際には飲食店で不衛生なことをする若者など、これまでも腐るほどいた(そんな話は何十年も前からいくらでもあった)し、芸能人が…に至っては一般人の不貞など吐いて捨てるほどあるわけで。

その良し悪しをここで語るつもりなど毛頭なく、それが現代の世の中ではいかに「明るみに出やすく」「その実態が主観的に語られるように」なったか、そこを声高に説明したい。

そうなのだ。ここ10年来ですっかり「言いたいことが言えない」世の中になってしまった。

私がこれだけ偉そうに、しかも堂々とその世論について皮肉を言えるのも、あくまでこのサイトがまだまだ世間に知られることのない存在であるからだ。
少しでも世に知られる存在になったなら、きっとこの奔放な本音トーク(笑)も、これを善しとしない輩に吊し上げられるに違いない。

何が言いたいか。
結局、民意はそうした発信力のある(つまり国民の目に入る)メディアを通じて醸成されるということだ。ここで言うメディアとは即ち「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス…ツイッターを始めとする個人の発信がネット上に公開されるようなツールを指してこう呼ぶ)」である。

SNSにおける個人の発信はまだまだ規制の動きも緩やかで(表現の自由を尊重するが故に収まる気配はない)、そうなれば古代ギリシャのゴルギアス宜しく、良くも悪くもキャッチーなフレーズで皆の共感を得られるような発信ができる人間が民意を操れる世の中である…ということなのだ。

まずは「身内」から


間違わないでほしいが、操るというのは言葉の綾(あや)であって、少しソフトな言い方をすれば「一般人の心をつかむ」とでもしておこうか。

ではもしそれを実行するとしたら、誰がやる?ということになるが…
この流れからすると皆さんきっと「BELがやるんでしょ」と思われたのではなかろうか?

違う。実は違うのだ。

それをやるのは今この記事をお読みの貴方…あなた方なのだ。
発信するのは、いま問題に直面しているプレイヤーでなければならない。即ちドライバー諸君である。

ただいかんせん、物流業従事者…とりわけドライバーにおいては、こうした知識に乏しく、また当事者としての自覚も低いのが実情だ。
選挙に行かない若者よろしく、自分がアレコレ言ったところで何が変わるのか…そう思っているに違いない。

そもそも民意を得るには、彼ら一般の人々が、渋々であれ納得するための説得が必要だ。
つまり「今どれだけ(一般の人々にとって)ヤバい状況か」そして「いま物流業にテコ入れすると自分たちに何のメリットがあるのか」を、彼らの脳裏に刻み込んでやらねばならない。

だが考えてみてほしい。

迷子になって泣いている子供がいたとしよう。
「お名前は?」
「どこから来たの?」
「誰かと一緒にいたのかな?」
…聞けど尋ねど子供は泣きじゃくるばかり。

こうなってはもう、できるのは交番を探してお巡りさんに後を託すことしかない。

分かるだろうか?
今のドライバーの多くはこの「迷子の子供」と同じである。
このままだとお巡りさん…という名の「世の中の流れ」にただただ翻弄(ほんろう)されるしかない。

だがこれならばどうか。

実は親御さんと一緒に買い物に来ていたが途中ではぐれてしまった。
しかしもし迷子になったらそばにある駅の出口で落ち合おうと約束している…このような情報を持っていたなら、あとは最寄り駅まで手を引いてやればよいだけだ。

この「情報」を与えることこそが「私の今できること」なのだ

私がここで皆に与える情報は、貴方が周囲の人々に自信をもって「…だから物流業こそ、今ここでしっかり底上げしておかなければならないんだよ」と言い切るための「知識」という名の武器であり、貴方がその武器をもって世の中に訴えてくれれば、私一人のチカラは2倍になり、仲間が増えていくことで3倍4倍のチカラへと姿を変えていく。

これがネットやその中のSNSを通して、誰かがいわゆる「バズる」状態になれば、そのパワーは指数関数的に膨らみ、やがて大きな民意となっていくのだ。


(ひとまずここまでで一旦アップしておく in 2023/3/21)